明末清初の書家。字は長公、无画。号は二水、果亭山人など。諡は文隠。熹宗時代に礼部尚書となり、少師兼太子太師・中極殿大学士に昇った。宦官の魏忠賢に好まれたが、毅宗が即位し魏忠賢が自殺すると、張瑞圖は辞職を申し出て帰郷した。しかし翌年、魏忠賢の生祠を書丹したとして有罪にされ平民に降された。 詩書画をよくし、王鐸、傅山とともに長条幅の連綿書で名高い。しかし罪を得て反逆者扱いを受けてからその書は軽んぜられ、長く中国で珍重されなくなった。そのため日本には早くから張瑞圖の書が入ってきた。