清代後期の文人。初め名を廷颺、字を熙載といったが、50歳以後は名を熙載、譲之を字とした。号は晩学居士など。江蘇省の人。生涯仕官をせずに、書画篆刻に専心した。 画ははじめ山水、晩年には花卉を得意とし、品格の高い画風であった。師包世臣の書論を実践し、発展させて自己の書境を拓いた。特に篆書・篆刻は包世臣が師と仰ぐ鄧石如の技法を授け、楷行草書は包世臣を学んだ。書画・篆刻とも繊細で流麗な線が特徴である。