18世紀後半の作。縦108×横29.5㎝。禮記、哀公門のなかの一句である。江戸中期は文徴明を規範とする細井光沢一派が流行し、王羲之を中心に学んでいた沢田東江は異色な存在であった。この一行もこの頃行われていた王羲之の書風が感じられる。