唐代後期の書家。字は誠懸。京兆華原(陝西省)の人。広く経学を研究し、詩経、書経、春秋左氏伝、国語、荘子の学に造詣が深かった。 書ははじめ王羲之から入り、広く諸家の書法を取り入れて一家を成した。行書、草書もよくしたが、とりわけ楷書が知られる。顔真卿の影響が強く、第一の後継者ともいわれ、両者の特徴をとらえて「顔筋柳骨」といわれる。当時、大臣の碑誌は柳公権が書かなければ、その子孫まで不幸者だといわれるほど、人気があった。