通称ていかと呼ばれる。藤原俊成の子。中納言、歌人、歌学者。西園寺家との婚姻関係を通じて歌壇に入る。 はじめは達磨歌と呼ばれて象徴的であったが、「新古今和歌集」撰集のときには後鳥羽天皇を中心に代表歌人となる。本歌取や三句切、体言止めを特色とする優雅で印象的な「新古今歌風」を完成させた。 ほか「新勅撰和歌集」の撰者で、家集の書写が多く現存している。晩年には古典校訂も積極的に行った。能書とまではいかないが、独特の「定家流」と呼ばれる筆致の妙を打ち出した。