父左近少将敦敏は佐理4歳のときに没したため、祖父摂政太政大臣実頼に育てられた。さりとも呼ばれる。小野道風・藤原行成とともに三蹟と称され、和様書道の代表的な人物である。 書においては25歳の時、祖父実頼が太政大臣の官を辞するにあたり、その上表文を清書した。大内裏の大極殿の前に建てられた悠紀・主基殿の屏風を書き、新造内裏の殿舎に額字を揮毫するなど、能書にとって最高の栄誉の役を奉仕する。