
平安の書家 藤原俊成

- 書家名
- 藤原俊成
- よみがな
- ふじわらのとしなり
- 生没年
- 1114~1204
- 時代
- 平安時代
- 代表作
- 日野切 昭和切
藤原俊成の特色

権中納言俊忠の三男。しゅんぜいとも呼ばれる。御堂関白道長から五代目の孫で、その家を御子左家と呼ぶ。初め顕広と称し、父の没後に伯父葉室顕頼の養子となり、俊成と改めた。安元2年(1176)には出家し、法名は釈阿。澄鑑、阿覚とも号した。西行とも親交があった。
藤原基俊より和歌を学び、歌合には判者として加えられ、歌壇に重きをなした。後白河天皇の命により「千載和歌集」を撰し、自ら清書本を書いた。これが日野切である。家集「長秋詠藻」、歌論集「古来風体抄」を著す。自筆としては、「昭和切」、若書きの遺品「顕広切」、壮年の「御家切」が伝わる。「顕広切」、「御家切」は自筆として疑問の意見もある。他に消息も残っている。
