泰山刻石 (BC 219年

泰山刻石

 BC221年に秦の始皇帝は中国統一を成し遂げると、法治の確立や度量衡、文字の統一を行い、統一書体として小篆が正式に採用された。 泰山刻石(たいざんこくせき)は秦の始皇帝が天下統一を果たした後、東方諸国を巡視し、秦と始皇帝の徳を頌えるために山東省・泰山に刻した銘文のことである。
 現在は泰山の麓にある岱廟東御座院の庭園にあり、ポールにはめ込まれている。泰山刻石は石碑の起源と言われる「秦始皇刻石」の一つとして知られ、始皇帝は泰山の他にも
6箇所で刻石を残した。しかし刻石は長い歳月を経て破砕し、このうち現在にまで残っている刻石は、泰山刻石と琅邪台刻石(ろうやだいこくせき)のみとなり、さらに計十字を残すのみとなった。書者はいずれも李欺とされている。小篆は当時の正書体であるが、秦の時代が短命であったことからその資料は少なく、他には宋拓と呼ばれる二十九字本、五十三字本、百六十五字本などから窺うことが出来る。
 書体は篆書で、特色としては左右対称で同じ太さに書き、整斎な美を醸し出している。

泰山刻石
前 219年

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