中国甘粛新出土木簡

漢代以前までは甲骨・青銅器・石刻といった、一種独特なものに文字を記すことが多かったのに対し、木に記したものを木簡、竹に記したもの竹簡という。当時の社会が密接な関係を築けば築くほど、不変的な書写材料より、実用的な面を重視したものが誕生していった。
 
 図版は玉門花海(ぎょくもんかかい)から出土した“觚”は、長さ37センチの木の枝を7面体に割り、一周して書かれている。全文の文字数は212字で、そのうち前半の133字は漢王朝を興した劉邦の遺詔、または武帝の遺詔とされている。後半の79字は、公的な文章ではなく私的な書簡だと思われており、字を習うための教科書として使用されていたとするが、誤字も見られるという。書写年代は不明であるが、元平元年(BC74年)の紀年簡が同時に出土していることから、この頃に書写されたとされている。
 
 筆勢は力強く、当時の標準体だった八分よりも、睡虎地秦簡や、馬王堆帛書などに見られる、秦隷体に共通するものがある。図版からも完全な波磔が見られる。筆の発達とともに細太がしっかりと出せるようになり、所々で思い切りのある太い撥(は)ねが見られる。

中国甘粛新出土木簡

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