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<三体石経>(さんたいせっけい)は、魏の正始年間(240〜248年)に洛陽太学の門前に建てられた石経である。本文が古文・篆書・隷書の三つの書体を並べて刻されているため、<三体石経>と呼ばれる。また、<正始石経>とも呼ばれる。 石経は重要な経典を石に刻したもので、規範とすべきテキストを世に示すためにある。漢代の<熹平石経>を石経の嚆矢とする。<熹平石経>は隷書のみで刻されているため、一字石経と通称される。 <熹平石経>が七種の経典(易経・詩経・書経・儀礼・春秋・孔羊伝・論語)が記されているのに対して、三つの書体を用いた<三体石経>は本文の分量が少なく、三種の経典(書経・春秋・左伝)が記されている。 <三体石経>は度重なる戦乱や遷都によって多くが失われ、唐代には既にほんの僅かしか伝来していなかったという。清代の末から残石が発見されて以来、次々と出土して、刻経は正始2年(241年)には始まっていたことが判明した。
台東区立書道博物館には三体石経の大きな残石が展示されている。
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